雑感(2014/06/04) [詩・本]

「水馬」
方一尺(いっしゃく)の天地
水馬(みずすまし)しきりに 円を描ける
なんじ いずこより来たり
いずこへ旅せんとするや?
ヘイ!忙しおましてナ!
<村上志染(むらかみしぜん>

忙しい忙しいと駆けずり回っている私たちの仕事も、仏さんから見れば30cm四方程度の空間を動き回っているようなもの。お前は何処から来て何処に行こうとしているのか?時には立ち止まって考えてみても良いのではないか!そんな事考えるくらいなら仕事一つかたずけられまんがな( ^ω^ )みたいな詩ですけど。

ここで言う水馬はアメンボのように思うのだがどうだろう?ミズスマシも泳ぐ時に円を描いているのかしら?

浄土真宗本願寺派第24代門主 大谷光真著 「朝(あした)には紅顔ありて」を読んでてね、次に続く言葉は「夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」 蓮如上人の「白骨の御文章」より

朝には大変元気であった者も、夕方には死んで骨になるかもしれない。って事ですが、時には「なんじいずこより来たり、いずこへ旅せんとするや?」と自身に問いかけ、じっくり考えてみる事も必要ではないか。そろそろそういう歳なのかもしれんね(^_^*)

四苦;仏教では「生(生まれる事)」「老(年をとる事)」「病(病気になる事)」「死(死ぬ事)」の4つを誰もが持つ根本的な苦しみ「四苦」としている。四苦八苦の四苦だ。

どんなに頑張っても人はみな老いていく。その現実から目を背けず、自分はどのように老いるかを考えておくことこそ大切。そうした準備があれば老いを不安に思う気持ちは和らぐはずだ。年をとると言うことは残された最後の仕事。つとめを果たすことだ。老いゆくさま、さらには死んでいくさまを、子や孫をはじめ周囲の人々にしってもらい、考えてもらうというのは、人間の最後のつとめなのではないか。「命ながらえれば老いゆくのが人間だ。お前たちは将来、老いをどう生きるのか。私はこのように生きているぞ」と子や孫にしめす。この世に無駄なものや無意味なモノはない。老いも貴いということを伝える大切な役目です。
老いた自分の姿を受け入れ、素直に世話になり、心から「ありがとう」と感謝の言葉が言えること。病の時も老いの時も私を気にかけてくださる人があることに気づき、感謝し、喜べる我が身となる事。出来ることなら、そうありたいと思いませんか。

なるほど、そうだなぁ~と思う。世間に気を使わず、耄碌ジジイである事など気にせず、厄介者で良いの!と思えば気も楽じゃろう( ^ω^ )
年金給付水準は30年後には2割減と今朝のニュース。やっぱ貰えるもんは早めにもらって、苦しまずに死んだ方が良さそうだ(^_^) いかん!全然老いを受け入れとらんぞ(^_−)−☆

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