本日は [詩・本]

送別会!天気は良さそうなのでまずまずかな(^_^)

『山頭火』<一草庵日記・随筆> 村上護 編より抜粋

昭和十五年九月十七日 晴。

起きると、隣の時計が五つ鳴った、山に落ちる月がうつくしかった。
身心の平静をとりもどした、私は日に日に刻々澄みつつある、と自信し自祝する。
<中略>
私がもしもー若しもだがー酒をやめることができたら私はどんなにやすらかになるだろう、第一、物質的に助かる、食ふや食はずのその日ぐらしから救はれる、赤字のなやみ、借金のせつなさがうすらぎ、つまらない苦労がなくなる、ーだが、私には禁酒の自信が持てない、酒を飲むことが、私にあっては、生きていることのうるほひだから!
アル中の徴候がだんだん現れてきよる、ああ。
ちょいとポストまで、途上、句を拾う、タバコの吸ひさしを拾ふ。
今日の買い物は、ー
二十六銭 平麦一升 十銭 ナデシコ 六銭 豆腐一丁 五銭 切手
卑しいかな人間、ー醜いかな山頭火!
風、風、風ー秋、秋、秋。
身のまはりをかたづける、自分のエゴイズムを見せつけられたりして。
<中略>
おお何とデカい胃袋、そういう胃袋の持主ー私という無能力老人は不幸(あたりまえだけど)である。

ひしひしと迫るもの、ああ私は生きていられないのだ!
自粛の力ー時代の力ーそして季節の力。
今夜もよい月、ひとりしづかに読みつつ考えつつ寝た。


注) 十銭 ナデシコとあるのは刻みタバコの銘柄だと思われる。
自由律俳句の種田山頭火さんが書かれた日記を読んでた。山頭火さんはこの年の10月11日に亡くなっている。享年58歳。58歳が無能力老人かどうかは別として、驚くのは亡くなる直前の10月8日までしっかりした日記を付けられており9日には書をしたためている。酒好きで身を持ち崩した方なのだろうが尾崎放哉さん同様、酒好きだというだけで好きな方々だ( ^ω^ ) もちろん自分の周りにおられたら厄介な人なのかもしれませんけどね(^_^)

・まっすぐな道でさみしい
・どうしようもない私が歩いている
・けふもいちにち風を歩いてきた
・おちついて死ねそうな草萌ゆる

酒呑んで家に戻る道すがら、引っ越した分だけ距離が延びてふくらはぎがパンパンになるほど、てくてく歩いてると、よぉく分かる気がするんですな( ^ω^ )
本日は送別会!またしても歩いて帰るのだが、間違っても野っ原で寝転んで「おちついて死ねそうな草萌ゆる」なんてことにならんよう、ほどほどで帰りますわ(^_−)−☆

ついでに

「酔いましたといふ人が酔うていないように酔うてはいないぞといふ人は酔うている。」

雨が降る、しとしとと雨が降る
野に山にーわが胸に




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