嫌な雨が続きますな [詩・本]

凄い雨降りで土砂災害が発生しとるようで。さっき携帯に避難解除の緊急速報が入電しとりました。地震の時の緊急速報とは違う音で「何が起こったんじゃ?」と思いましたけどね。逃げ遅れて行政も非難されとうないもんじゃけん必死ですな。まあ、出さんよりはマシに決まっとるので良い事やと評価しますけどね。今、土砂災害の起こった沼田におるんですけど、もっと山の方なんかな。びっくりするような災害ばかりで、本当に地球は壊れかかっとりますな。

今更ですけどね、お盆に大洗からひたちなか市をうろついてたら映画のロケ見ましたわ。常陸海浜公園から勝田駅に向かう大通りから、チョビッと左折したところでうっすらとした人だかりが出来てて警察官も数名。「何だろう?」と野次馬根性出して公園脇に車駐車してトコトコと。30分以上待ったかな。長谷川博己は間違いなくって、もう一人は背のチビっこい仮面ライダー崩れ?警官の居る家の中に女優さんがスタンバイしてるらしいってひそひそ声。女優さんが誰なんだか興味はあったけど、長谷川博己に興味が無いので切り上げました。(^_^) 何だか米軍基地絡みの感じだったかもね(畑に英語表記で「GO……」って看板立ってたような気がして)。
8月13日、まさに盆真っ最中。15時過ぎのジリジリした暑さの中で、よくもあんな場所で。映画作りっちゅうのも大変ですな。
その日は、お墓まいりも大勢さん見えてて駐車場が一杯で、入るに入れず。道幅が狭くって車幅が二車線無いもんだから大渋滞で。オイラが入ろうとしたら出てくる人がおって、ちょっと待ってあげたら反対側から割り込んで先に入る奴が居て。出ようとする人も、一旦戻っててんてこ舞い。オイラの左隣からは自宅から出るに出られず、やっぱオイラが周回してくるっきゃないんじゃろうの〜(−_−;)

『夕焼け』吉野 弘
いつものことだが 電車は満員だった。
そして いつものことだが 若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘がたってとしよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが座った。
礼を言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は座った。
別のとしよりが娘の前に
横合いから押されてきた。娘はうつむいた。しかし又立って席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言っておりた。
娘は座った。二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は咳を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて…
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘は座ってどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。

鮎川信夫さんが吉野さんを評して「現代における<受難>の意味を、心のやさしさに求めるところにこの詩人に特有の、人間性への愛と理解が感じられはすまいか」と書かれていたそうだ。
オイラも夕焼けが見れんタイプかもしれんね(^_^) 娘さんの気持ちわかりまっせ。良かれと思ってね、本人だって疲れとるんじゃと思いますわ。気付かないうちに、優しいがゆえに被害者であり加害者にされてしまう。無神経な奴が羨ましいですわ(^_−)−☆


雑感(久々の雨) [詩・本]

今朝は久々に雨に恵まれてる。この感じだと一日雨の気配、深刻な水不足にどれだけお手伝いできるのか?降らんよりはマシか( ^ω^ )

先週の金曜日、朝一で外出先から事務所の駐車場に戻ると歩道に真っ黒い塊が。どうやらカラスの子供のようだ。なんでこんな場所に?
image.jpeg
雨の中、怪我をしているのか歩ける様子でも無い。手を差し伸べてあげたいが、近づくと上空で二羽のカラスが大声をあげる。親ガラスなのかな?ここは親ガラスに任せて事務所に戻った。昼すぎて仕事に向かうので駐車場に来ると先ほどとは場所を変え、駐車場の中央で寝ているような。

近づくと、何処かで見ていた親ガラスが威嚇するように飛来した。あの子、どうやら左の羽根が上手く動かせないようだ。見て見ぬフリも悪いが親ガラスの目もあって、どうなることやら。仕事から戻ったら姿が無くなってた。何処に行ったのか?

「花影 妻不在三十二夜」池井昌樹
こよいここでのひとさかり
おえ
ここはこんなにしずかです
カアカアからすがないています
ぼくはなんにもすることがない
ほんとになんにもすることがない
こよいここでのひとさかり
そのあとかたにみとれています
もうつかわれないおなべやおかま
もうつかわれないくすりびん
もうつかわれないぼくひとり
ほこりかむってだまっています
いつまでもただだまっています
つまのはわせたあさがおの
そのはなかげがまどにあり
そのはなかげが
かすかにふるえ
ここはこんなにしずかです

良い人生って、難しいですな。
生きていればこそ……の幸せか(。-_-。)

日曜の夜に、見覚えのある番号が表示されたので出るとケーズデンキから「修理品戻ってます!」との知らせ!1ヶ月掛かるって言ってたじゃん。まあ何はともあれ良いお知らせだったので、すぐさま受け取りに(*^_^*) 帰宅してセットして電源ON、外付けHDDも接続した状態でONしたのが良かったのか、録画されてるものは無事だった( ^ω^ ) 1ヶ月と言われた修理が一週間で完了し無償と言われると悪い気も少しはやわらいだが、やはり壊れすぎでしょう!日本ブランドの意地を見せられんから身売りさせられるのか?鳥が先か卵が先かは、わからんけどモチベーション上げて行こうぜ(^_−)−☆

雑感(2016年2月7日) [詩・本]

日曜日の朝、コタツでTV見てるオイラ。速報が流れる。北がミサイルを飛ばしたらしい。隣では犬が散歩をおねだりしてるのか?キャンキャンと小声で甘えてる。飼い主の「うるさいぞ!」の声で、おし黙るワンコ。予定調和ではないが慣れっこになってるようだ。北のミサイルはどこまで飛んで行ったのか?彼等が弾頭に核を乗せて正確かどうかは別として距離だけは、あらゆる国に飛ばす事が出来ると知らしめる事に成功したようだ。おばさんアナウンサー嬉しそうだったもんなあ。不謹慎とは思うが、日本に配備されてる弾道弾迎撃ミサイルの実力がどれほどなのかが知りたくて、試しに撃ち落として欲しいと、ちょっと考えました( ^ω^ )

何年も前から警察に張られて、TV局もXデー待ちで隠し撮りしてる。酷い話じゃ(。-_-。) 久々に「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか」っちゅうフレーズ思い出した。自業自得やけど、切ないですわ。

今朝の「編集手帳」で知った一首
<「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ>(俵万智『サラダ記念日』所収)

『夫婦』<天野 忠>
四十五歳のお前が
空を見ていた
頬杖をついて
ぽかんと

空を見ていた
空には鳥もなく
虹もなかった
何もなかった
空には
空色だけがあった

ぽかんと
お前は
空を見ていた
頬杖ついて
それを
私が見ていた。

雑感(2016年1月10日) [詩・本]

仕事初めから一週間。やっとこさ週末を迎え、前橋では初市祭り。ダルマ供養で幕開けし、ダルマや縁起物を求める人々で賑わうんですけどね。結構お高いんですわ。それでも夜がふけていくと、投げ売り状態と言うか、価格交渉は当たり前( ^ω^ ) ダルマは七転び八起きの縁起物、商売繁盛にはもってこいだものね。

夕方、近所の蕎麦屋さんに散歩を兼ねて出掛けた。立地の場所が悪いと言うか、看板だけはあるのだが店の姿は表通りからは見えず。店の前に立つと、打ち水が施してあり店構えに、もてなす心意気を感じる。民家を改築した作りとなっており上がり框で靴を脱ぎ奥の座敷へ。いなか蕎麦の大盛りに野菜天ぷらを付ける。蕎麦の香りもあり、のどごしもしっかりしてる。値段も含めてちょうど良い!天ぷらは舞茸、ナス、カボチャ、サツマイモ、人参、生姜、と何かの葉っぱ。これまたちょうど良い( ^ω^ ) 多分、この店はかなり上位のお店やと思いますわ。

今日からスタートする大河ドラマは三谷幸喜の「真田丸」、あのお方は直近の映画でも羽目を外しすぎてるきらいもありますが、今回はどうなりますでしょうか?( ^ω^ )

タイトルの真田丸、石山本願寺跡地に秀吉が築いた難攻不落の巨城。そんな城の唯一の弱点と考えられていたのが堀を持たない南側。その場所に武田信玄の丸馬出を模し、門外に出丸を設け鉄壁の守備態勢を築いたのが幸村48歳の時。舞台は大阪夏の陣!守る諸将は長宗我部盛親、毛利勝永、後藤又兵衛基次、明石掃部全登(あかしかもんてるずみ)、真田幸村。それなりに能力は高いのだが、全員負け組の浪人。その連中の中で特筆すべきは徳川の大軍に二度も土を付けたのは真田のみ。豊臣側に運がなかったと言えばそれまでだが、総大将の能力の無さ。秀頼が表に出ず、淀君と大野治長と言う戦を知らぬバカ女と小賢しい評論家のような官吏が上にいた事か。いつの時代も無能な親方を持つと不幸だ。

「天の時、地の利、人の和」時期、実力、徳、どれが欠けても上手くはいかんちゅう事でしょうな。武田信玄は病に倒れ、上杉謙信もまた時を得ず、黒田官兵衛、伊達政宗も惜しかった。

戦国武将の中でも特にゲリラ戦のスペシャリストとして異彩を放っているのが真田家。武田、上杉、北条、徳川、豊臣と、一族、領土を守るためには平気で主を変えてでも、生き延びる道を選択するダルマみたいな一族。

火坂雅志『真田三代』より一部抜粋
<上杉家の人質時代の幸村(18歳)>
真田の家には「義」という思想はない。
義とは、儒教でいうところの仁義礼智信、すなわち五常のひとつである。私利私欲を捨て去り、人と人との信義に重きをおき、おおやけのために何ができるかということを行動原理の中心にすえる。それが、義の思想にほかならない。しかし、「義など、形なき神や仏を拝むのと同じで、しょせんはまやかしにすぎぬ。人を都合よく動かすために、さも有り難そうな口実を唱えておるだけよ」根っからの合理主義者である父昌幸の影響もあり、幸村は上杉の義には最初から懐疑的であった。
・第1次上田合戦 徳川方の大軍を退ける

<関ヶ原の戦い(幸村34歳)>
幸村の舅にあたる大谷吉継が上杉討伐の為、会津遠征軍に参陣する途中、石田三成から豊臣を助けて欲しいと頼まれる場面
「おぬしには大将たるものにもっとも必要な資質、徳がないからだ」「徳だと」「そうだ。大将の要害は徳にあり。徳あるところ、天下これに帰す。徳をもって家臣や民に接すれば、その大将にはおのずと人が従ってくる。悲しいかな、おぬしは理が勝りすぎ、徳が欠けている」
・第2次上田合戦 徳川秀忠率いる圧倒的大軍を上田に足止め

<大阪冬の陣において真田丸の戦いで徳川方を退けた直後、家康の言伝を告げに来た叔父信尹(真田信昌)との場面 幸村48歳>
「それがしには、領地より大事なものがございます」「その大事なものとやらは何じゃ」叔父信尹が聞いた。侍にとって、禄以上に大事なものがあるとは思われない。「誇りにございます」幸村は言った。「誇り…」「叔父上は、数ある信濃の小士豪のなかから、真田家がここまで生き残ってこれたのはなにゆえと思われます。それは、知恵を働かせて巧みに立ち回ったからだけではない。小なりとはいえ、独立した一族の誇りを失わず、ときに身の丈よりはるかに大きな敵にも、背筋を伸ばして堂々と渡り合う気概を持つ。それでこそ、我が一族は、亡き太閤殿下、大御所にも一目置かれる存在になったのではございますまいか」「それはそうかもしれぬが」「目先の餌に釣られ、世の理不尽にものを言う気概を捨て去っては、一族を興した祖父さまや、表裏比興(ひょうりひきょう)と言われながらも、おのが筋をつらぬいた父上に申しわけが立ちませぬ」「そなた…」「おのが心に忠実であること、武士としてのそれがしの義にござります」

・大阪夏の陣 幸村49歳 堀を埋められ打って出るのみ、勝ち目の無い野戦で死に場所を求めた漢達。目指すは家康の首一つ!寂しい話ですな(。-_-。)

ほんとうにどういう描かれ方をするのか?幸村の父、昌幸の活躍した信州上田、上州沼田は近い(^.^) 堺雅人の幸村!以前鹿島神道流の塚原卜伝でちょんまげ姿は拝見しており殺陣もそつ無くこなされてたので心配はしとらんけど、大泉洋の信之?まあ吉田羊の旦那役ちゅうのが許せんだけですけどね(^_−)−☆

2015年大晦日 [詩・本]

我行精進 忍終不悔(がぎょうしょうじん にんじゅうふけ)

何せ年末押し迫ってから寒かったせいか、28日の夜から微熱と咳・鼻水・だるさでまるで寝たきり老人の生活ですわ。おかげで大掃除も浴室とトイレが精一杯で…年賀状もさっき中央本局に出掛けて渡してきた(なんと職員が表に出て「年賀状ください」と書いた袋持って立ってた。駆け込みで出しに来る奴が大勢いるんですな)。あんまり飯も食べとらんので痩せた気もする。やっとこさ食欲も出て来たが、あと鼻水がなんとかなれば(^.^) 来たる2016年は前厄らしい。今回の風邪も、何かの兆候なんかもしれんね( ^ω^ )

来年は震災から5年。原発も何年もゼロで賄えていたのに続々と再稼働に舵を切っている。日米原子力協定が、2年後切れてしまう。日本のプルトニウム貯蔵量は国内外合わせて40トン以上。核廃棄物の最終処分場も持たず高速増殖炉もんじゅの稼動も未定のままでプルサーマル計画は進んでいない。ひょっとしたら日本の半分が住めなくなったかもしれないのに、再稼働に対しては意外とハードル低かったよね。

真山仁著「そして、星の輝く夜がくる」より抜粋

主人公小野寺が子供たちに「がんばるな。我慢するな。腹立つことをぶちまけろ」と呼びかけ作らせた壁新聞。
"遠間市立遠間第一小学校の諸君
町は全然復興しないし、家にも帰れない。
こんな生活はイヤだ。いや、おかしいぞ!
みんな、もっと怒れ、泣け、そして大人たちに、しっかりせんかい!
と言おう。
『わがんね新聞』は、世の中と大人たちに、ダメだしをする新聞です"

阪神淡路で被災した小野寺を東北に応援教師として派遣した森永元校長の言葉
「人は皆、忘れていくもんだ。だから生きていけるとも言える。特に辛い経験は忘れた方が良い。失ったものをいつまでもくよくよ悩むべきではない。形あるものは必ず滅びる。生き物はね、生まれた時から死を運命づけられているんだよ。それが、早いか遅いか、突然やってくるか緩やかに訪れるかだけの違いだ」
「おかしなもんで、忘れないでというと忘れてしまいたくなるのが人情やねんな。人は本当に大切なことは決して忘れない。けどな、過去に縛られたらあかん。大切なのは今日であり、未来やろ」
だが、悲劇の渦中にいる人にそう告げるのは酷である。
「じゃあ、ああいうのは反対ですか」
「そうは思わんよ。あれで救われる人もいてはるんや。一生懸命自分たちを覚えていて欲しいって訴えることで、がんばれるからね。だから、私は彼女たちを応援したい。けど、それでも人は忘れていくもんや」
まるで禅問答だ。


なんちゅうのか考えさせられましたわ。子ども達との向き合い方、ボランティア、マスコミ、行政、総じて大人全般にぶつけられてる気がしますわ…子供は弱い、守ってあげなきゃいけない。大人はすぐそう言う。だが、弱いのは大人の方だ。自分たちが教えられるのは、知識や浅はかな経験しかない。だが、子供達は、命の輝きを惜しげもなく教えてくれる。

今年一年お付き合いいただきありがとうございました。
多分、今年の風邪を引きずっての年明けを迎えそうです。年明けは4日までには復調を予定しておりますが、皆様方もくれぐれもお身体にご注意なされ、良い年末年始をお過ごしください。来たるべき新しい年が皆様にとりましてより佳き一年となりますよう心からお祈り申し上げます。

雑感(11月27日) [詩・本]

11月28日になってますけどね(^^) コタツで横になりビデオ見てたんだけど、ここ数日はまるでパブロフの犬で再生開始直後に眠りに落ち謎解きの場面で起きてる。結局倍速で流し見てるのが常になってきた(^.^) 日曜はおそらく今年最後のゴルフ!雪が降らないことを祈るばかりですわ( ^ω^ )


「雲」
思い出は
よみがえる
石洗う
手向けの水に

幼子の
ばらの頬
母の手に
ほほえんで

大空は
はてもなく
消えかかる
雲のひとひら
『そのほかに』1979年谷川俊太郎より

新盆なのだろう。誰が亡くなったのか?妻か子か。墓を洗い死別した者に思いを寄せる。ふと空を見上げると…。
最近、空を見上げる事が増えたように思う。オイラも歳だね(^.^)

1998年群馬へ転勤、その年の初夏、同僚と尾瀬に出掛け鳩待から至仏山頂に登り正面に見えた燧ケ岳の雄々しさと青空に感動を覚えた。「次は燧ケ岳に登るか( ^ω^ )」と話をしていたが、未だ登れずにいる。その年の夏、ロープウェイで谷川岳に登り尾根に出て山頂を目指したが山の天気は変わりやすく一気の大雨。大慌てで下山し、ずぶ濡れのズボンからお札をダッシュボードに貼り付け衣類共々乾燥させながらパンツ一丁で帰って来た。次の日、その雨の影響で谷川岳下流の湯檜曽川でキャンプをしていた埼玉の少年サッカー団が鉄砲水に巻き込まれ大人が1人死亡、10人以上の子供が怪我をしたとのニュースに驚かされた(>_<)

そろそろ年末から年始にかけて読む本でも準備するべと本屋に出掛け物色。文庫本とはいえ、やたらと分厚い本に興味を惹かれ手に取る。1076頁!表紙には阿部寛と岡田准一の似顔絵が描かれている。2016年3月封切り予定の「エヴェレスト」の原作本。「神々の山嶺(いただき)」夢枕獏さんの本だ。

山岳小説!嫌いではない(^^) 自分で冬山に入って行ったりロッククライミングしてみたいとは思わぬが、「人はなぜ山に登るのか?」。なんだかわからんけどTVでやってると、イモトのチャレンジであれ、つい見入ってしまう(^.^)。同行してるカメラマンこそプロのアルピニストではないかと思えてしまうのはオイラだけか( ^ω^ )

エヴェレスト登頂に挑み続けたジョージ・マロリー。「なぜ山に登るのですか?」と聞かれ「そこにエヴェレストがあるから」と答えた方だ。彼は1924年3度目の最終アタック後に消息を絶った。彼が山の頂に辿り着いていたのかが最大の謎とされている。それを知る手がかりは彼が持っていたカメラを見つけフィルムを現像する事。1999年に彼の遺体が山頂付近で発見されたニュースが話題となったが、カメラは見つからなかった。本作はマロリーのモノと思われるカメラを手に入れた日本人、深町が、そのカメラを奪われるところから始まるらしい。ノンフィクション作家佐瀬稔さんの書いた「狼は帰らず」アルピニスト森田勝の生と死。多分群馬に転勤した年の暮れに読み、今も手元にある(^.^) 森田勝と長谷川恒男をモデルとし描かれた「神々の山嶺」。読むっきゃねえなぁ(^_−)−☆

雑感(11月14日) [詩・本]

本日は雨の1日になりそうだ。明日も雨?ゴルフ場だけでも晴れてくれんかなぁ(。-_-。)

今週は月火水と出張。初日に何年ぶりかでカラオケ歌わされたのが響いたのか喉が痛くて。何の歌を歌ったのか?サッパリ覚えとらんけど、まあ良いか(^_^) やはり歳なのだろう、身体がだるくって。

昨日も奇妙な事件が流れてた。38歳の男性が顔の皮膚を刃物で切り取られて死んでいるのが自宅で発見された。第一発見者は28歳の同居男性、なんと殺された男性の養子なんだそうだ。ようわからんけど顔の皮膚を剥がすってのは凄まじいよね(>_<)

もんじゅの無駄遣い?国立のスタジアム問題もそうだけど文科省の管轄してる部門が多過ぎるのもあるけど、度外れて無頓着で無責任だろう。国民の役に立ってこその役人!彼らは役人ではなく悪人なのだと、つくづく思う。まあ御役人さんばかりが酷いんじゃなくて日本人が壊れていると言うのが正直なところだけど。

例の杭打ちも元請け下請けでドロドロした責任のなすり付け合いを見苦しくやってるが、姉歯事件の教訓を検査する側の行政はどう活かしていたのか?VWの不正ソフト、タカタのエアバッグ、東芝の不適切会計、JA全農の肥料、東洋ゴムの防振、免震ゴム偽装等々。


姜尚中「悪の力」より一部抜粋
群馬大学医学部で手術をしたけど担当医が八人死亡させただけというならば、個人の責任を問うべきなのでしょうが、ここではさらに原因が不確かな「医療ミス」が重なったのか、二桁の患者が死亡しています。患者の生命を管理する病院という組織の中で、結果としてチェック体制が働かず、お互いに無関心な空気が常態化していたとすれば、恐ろしいことです。
労働基準法など無視して、劣悪な条件下で正社員や派遣社員を酷使するブラック企業も、営利主義の組織が産んだ悪の一つでしょう。会社以外の儲け以外はいっさい考えず、あるのはノルマだけという劣悪な環境下で、多くの人たちが心身を消耗させています。名前のよく知られた大手企業の中にも、こうしたブラック体質があることが問題になっています。
では、この企業の幹部が悪人なのかというと、一人一人ばらしてみると、罪悪感は非常に薄く、良き家庭人の顔が見えたりもします。誰かが悪人でその組織を率いているという図式はそこにはありません。ひたすら会社の儲けだけを求める組織の構造そのものに悪があるのです。

吉野弘エッセイ集「くらしとことば」より
せまい歩道を、こちらから一人歩いてゆく。向こうから一人歩いてくる。すれちがうとき、どちらからともなく、道をゆずりあう(いつもそうとは限らないが)。これが二人対一人の関係になると、二人連れは、一人に対してなんとなく強気にふるまい、対等な歩行者同士として道をゆずるという構えを失いやすい。
こういう人間関係は、考えてみると社会の万般にひそんでいて、その実なかなか気づかれぬことが多い。
一人で何かをするより二人で力を合わせたほうが経済的で合理的だ。これが組織とか団体の基本にある。ところが、組織や団体の構成員は、一人で行動する時でも、虎(組織)の威を借りるのである。
たとえば、一人だけでなら世間の指弾がこわくてやれないようなヒレツなことを、ある組織の一員としてなら、やってのける。
「一人」から「組織」に移るときの、ふしぎな意識の飛躍 つまり二人以上になると、その構成員は一人としての責任を問われないと思う独善 それがなぜ許されるのか、大変興味のあるところです。


雨も今は止んでるようだ。傘持って散歩に出てきます(^_−)−☆

雑感(11月4日) [詩・本]

やはり11月ともなると毎日暗くなるのが早いのなんの。こないだまでは半袖でもいれたのだが、流石に暖かめのジャージを羽織る事が増えた。
朝晩、駐車場までの行き帰りで15分ほど歩くのだが、走ってる車も寒いからか気ぜわしい感じだ。歩行者の立場でモノ申せば、とにかく道を横切るのが一苦労(^_^) まあ車が停まってくれんのには悲しくなってしまう。交通マナーは悪いと評判なのだがもう少し余裕を持たれた方が良いと思いますけどね。夜などはなおさらで反射板を二つ付けとるけど、轢き殺されるかとヒヤヒヤする。これから年末ともなれば、命がけになりそう(>_<) ハイビームの懐中電灯でも持ちますかね( ^ω^ )

昨日は11月3日 (文化の日)。1946年に日本国憲法が交付された日だ。あれほどデモ騒ぎのあった安保法制も可決された今となってはメディアで取り上げることもないみたいだ。シールズもどこぞでデモやっとるんじゃろうか。原発も復興庁も、何がどうなっとるんか?
これから年末にかけて困っとる人がおんなさらん事を願うとります。

日中韓3カ国での首脳会談がやっとこさ開かれた。また好き勝手言い放題の奴らと話をするのかと思えば大変じゃろうが、対話せんことには相互理解は深まらんしね。相手の立場に立って考え、誠実な思いやりを持って接する。嫌かもしれんけど、相手の顔の立つ知恵を出せば良いのではないかな。悪いことではないでしょう(^^)


[会釈・挨拶・いい会話]

信号機のない横断歩道の片側で、歩行者が車の切れ目を待っている。地響きを立てて走ってきた大きなトラックがその横断歩道の手前で「どうぞ」というようにスッと止まる。歩行者が驚いたように、トラックの高い運転席を見上げ、軽く会釈して道を横切る。運転手がなんとなく会釈を返す。トラックはまたすごい唸りをあげて走り去る。
私は,そんな情景を見るのが好きだ。歩行者の感謝の気持ちが間違いなしに、トラックの運ちゃんに届いたと感じられるからだ。人間は他人からの感謝の気持ちを示されると、なぜか、やさしい気分になるものだ。それを見届けるのが好きなのである。
<中略>
ある日の新聞の投書欄に「日本語の乱れを嘆く」という文章が出ていた。投書された方はメキシコ国立大学の講師をしておられる日本の婦人で、優秀な日本語教師を探すため、5年ぶりに帰国し、その折に出会ったいくつかの日本語体験を歎いたものだった。
一つは新幹線の切符を国電の或る駅で精算しようとした処、窓口の駅員から「いらない」と言われ、聞き返したら吐き捨てるように「いらねえよ」と言われたというのである。また、或る大学の史料館へ人を訪ねて行ったときは、受付の女の人から「ちょっと、あんた、どこ行くのよ」と呼びとめられたという。
この投書を読んだ日の昼少し前、私が所用で外出し、駅に通じる裏通りを歩いてゆくと、私の前を、若いお母さんに手をひかれた2、3歳ぐらいの女の子が歩いていた。向こうから自転車に野菜をのせた婦人がやってきて、この親子と挨拶をかわして行きすぎた。
女の子が母親に聞いた「おばちゃん、どうしたの?」。
母親が答えた「おばちゃんは買物をすませておうちに帰るところよ」。ほんの少しの間を置いて女の子は「そう」、とはっきり言った。そのタイミングが 絶妙だった。いかにも納得したというふうな、すてきな返辞だった。
私は、なんていい会話だろうと思った。反射的に私は、朝の新聞の投書のことを思い浮かべていたが、言葉というのは心のことなんだなと、ごく当然の感想を抱いた。言葉が乱れていると感じられたことの実体は、心が不在ということだったのだ。
(吉野弘エッセイ集 『くらしとことば』より)





雑感(2015-10-16) [詩・本]

「さくら」

さくらの つぼみが
ふくらんできた

と、おもっているうちに
もう、まんかいに なっている

きれいだなあ
きれいだなあ

と、おもっているうちに
もう、ちりつくしてしまう

まいねんの ことだけれど
また おもう

いちどでも いい
ほめてあげられたらなあ…と

さくらの ことばで
さくらに そのまんかいを…

まど・みちお 「風景詩集」より(1979年かど創房)

季節はあわんけど、なんとなく、そんな気分ですわ(^^)

本日、めでたくはないが、また一つ歳を重ねる事が出来た。たんたんと、毎年その日はやってくる。随分、歳をとったものだと思う( ^ω^ )
来年もまた、たんたんと歳をとりたいと思っている(^_−)−☆

雑感(7月7日) [詩・本]

七夕!短冊に願いを書いたのは半世紀も前になりそうだ( ^ω^ ) 今だったら、何を願うか?やっぱ、この世知辛い世の中では宝くじ当たりますようにって書いちゃうかもね。でもちっちゃな子供が、それ書いてたら…親の顔に書いてあるのかと思うと複雑ですな(^O^)

相変わらず天気は愚図ついてる。梅雨だからといえばそれまでなんだけどね。
なでしこ!お疲れ様です。ゆっくり休んでいただきたい。今回を限りに代表を退く選手も多いのかな。あれだけ世界で実績を残すなでしこ達もプロのリーグとして選手の強化が進んでいるかと言えば現状は厳しい。次のオリンピックでリベンジと力強く叫べる状況にはないと思う。若手も岩淵を除けば実績を積んだ選手も少ない。新国立競技場に1000億近く割り増した分の費用としてトトに加え野球クジまで考えているようだが、オリンピック以降のメンテナンス、改修費と、支払い続けなければならない維持費をどう考えているのか?同じ税金払うんだったら、いっそゴメンナサイして10億20億の違約金で済むのかわからんけどデザイナーには名誉を与えて終わりにし、もっと手の届くところで最良のモノを目指すべきとの意見は当然だろう。ましてスポーツ振興クジはなでしこ達のように結果を残せる選手の育成強化に手当てするべきだし、正直言って彼女たちはもっと裕福であっても良いと思う。

なんかパッとせん天気で、ギリシャも国民投票でノーを選択した。「借りた金は返せんし、俺らをどうするかはあんたらが考えろ。とにかくメシを食わせろ」ではEUの構成国は辛かろう。確かに昔から在る遺跡で食いつなぐ観光産業とオリーブオイル程度で、且つ公務員が多すぎる上に、加えてあの国民性では自由主義経済は成り立たんでしょう(絶対に怒られそうだな)。そうは言っても…


菅原克己 <マクシム>より抜粋

誰かの詩にあったようだが
誰だか思い出せない
労働者かしら
それとも芝居のせりふだっただろうか
だが、自分で自分の肩をたたくような
この言葉が好きだ
<マクシム、どうだ、青空を見ようじゃねえか>
<中略>
言ってごらん、
もしも、若い君が苦労したら、
何か落目で
自分がかわいそうになったら
その時にはちょっと胸をはって
むかしの僕のように言ってごらん
<マクシム、どうだ、青空を見ようじゃねえか>

マクシムというのは人名で、日本風に言えば太郎みたいな名前だそうだ。どピーカンだと暑そうなのでご遠慮するが、そろそろ晴れ渡った青空を見たい(^_−)−☆


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