雑感(2016年1月10日) [詩・本]

仕事初めから一週間。やっとこさ週末を迎え、前橋では初市祭り。ダルマ供養で幕開けし、ダルマや縁起物を求める人々で賑わうんですけどね。結構お高いんですわ。それでも夜がふけていくと、投げ売り状態と言うか、価格交渉は当たり前( ^ω^ ) ダルマは七転び八起きの縁起物、商売繁盛にはもってこいだものね。

夕方、近所の蕎麦屋さんに散歩を兼ねて出掛けた。立地の場所が悪いと言うか、看板だけはあるのだが店の姿は表通りからは見えず。店の前に立つと、打ち水が施してあり店構えに、もてなす心意気を感じる。民家を改築した作りとなっており上がり框で靴を脱ぎ奥の座敷へ。いなか蕎麦の大盛りに野菜天ぷらを付ける。蕎麦の香りもあり、のどごしもしっかりしてる。値段も含めてちょうど良い!天ぷらは舞茸、ナス、カボチャ、サツマイモ、人参、生姜、と何かの葉っぱ。これまたちょうど良い( ^ω^ ) 多分、この店はかなり上位のお店やと思いますわ。

今日からスタートする大河ドラマは三谷幸喜の「真田丸」、あのお方は直近の映画でも羽目を外しすぎてるきらいもありますが、今回はどうなりますでしょうか?( ^ω^ )

タイトルの真田丸、石山本願寺跡地に秀吉が築いた難攻不落の巨城。そんな城の唯一の弱点と考えられていたのが堀を持たない南側。その場所に武田信玄の丸馬出を模し、門外に出丸を設け鉄壁の守備態勢を築いたのが幸村48歳の時。舞台は大阪夏の陣!守る諸将は長宗我部盛親、毛利勝永、後藤又兵衛基次、明石掃部全登(あかしかもんてるずみ)、真田幸村。それなりに能力は高いのだが、全員負け組の浪人。その連中の中で特筆すべきは徳川の大軍に二度も土を付けたのは真田のみ。豊臣側に運がなかったと言えばそれまでだが、総大将の能力の無さ。秀頼が表に出ず、淀君と大野治長と言う戦を知らぬバカ女と小賢しい評論家のような官吏が上にいた事か。いつの時代も無能な親方を持つと不幸だ。

「天の時、地の利、人の和」時期、実力、徳、どれが欠けても上手くはいかんちゅう事でしょうな。武田信玄は病に倒れ、上杉謙信もまた時を得ず、黒田官兵衛、伊達政宗も惜しかった。

戦国武将の中でも特にゲリラ戦のスペシャリストとして異彩を放っているのが真田家。武田、上杉、北条、徳川、豊臣と、一族、領土を守るためには平気で主を変えてでも、生き延びる道を選択するダルマみたいな一族。

火坂雅志『真田三代』より一部抜粋
<上杉家の人質時代の幸村(18歳)>
真田の家には「義」という思想はない。
義とは、儒教でいうところの仁義礼智信、すなわち五常のひとつである。私利私欲を捨て去り、人と人との信義に重きをおき、おおやけのために何ができるかということを行動原理の中心にすえる。それが、義の思想にほかならない。しかし、「義など、形なき神や仏を拝むのと同じで、しょせんはまやかしにすぎぬ。人を都合よく動かすために、さも有り難そうな口実を唱えておるだけよ」根っからの合理主義者である父昌幸の影響もあり、幸村は上杉の義には最初から懐疑的であった。
・第1次上田合戦 徳川方の大軍を退ける

<関ヶ原の戦い(幸村34歳)>
幸村の舅にあたる大谷吉継が上杉討伐の為、会津遠征軍に参陣する途中、石田三成から豊臣を助けて欲しいと頼まれる場面
「おぬしには大将たるものにもっとも必要な資質、徳がないからだ」「徳だと」「そうだ。大将の要害は徳にあり。徳あるところ、天下これに帰す。徳をもって家臣や民に接すれば、その大将にはおのずと人が従ってくる。悲しいかな、おぬしは理が勝りすぎ、徳が欠けている」
・第2次上田合戦 徳川秀忠率いる圧倒的大軍を上田に足止め

<大阪冬の陣において真田丸の戦いで徳川方を退けた直後、家康の言伝を告げに来た叔父信尹(真田信昌)との場面 幸村48歳>
「それがしには、領地より大事なものがございます」「その大事なものとやらは何じゃ」叔父信尹が聞いた。侍にとって、禄以上に大事なものがあるとは思われない。「誇りにございます」幸村は言った。「誇り…」「叔父上は、数ある信濃の小士豪のなかから、真田家がここまで生き残ってこれたのはなにゆえと思われます。それは、知恵を働かせて巧みに立ち回ったからだけではない。小なりとはいえ、独立した一族の誇りを失わず、ときに身の丈よりはるかに大きな敵にも、背筋を伸ばして堂々と渡り合う気概を持つ。それでこそ、我が一族は、亡き太閤殿下、大御所にも一目置かれる存在になったのではございますまいか」「それはそうかもしれぬが」「目先の餌に釣られ、世の理不尽にものを言う気概を捨て去っては、一族を興した祖父さまや、表裏比興(ひょうりひきょう)と言われながらも、おのが筋をつらぬいた父上に申しわけが立ちませぬ」「そなた…」「おのが心に忠実であること、武士としてのそれがしの義にござります」

・大阪夏の陣 幸村49歳 堀を埋められ打って出るのみ、勝ち目の無い野戦で死に場所を求めた漢達。目指すは家康の首一つ!寂しい話ですな(。-_-。)

ほんとうにどういう描かれ方をするのか?幸村の父、昌幸の活躍した信州上田、上州沼田は近い(^.^) 堺雅人の幸村!以前鹿島神道流の塚原卜伝でちょんまげ姿は拝見しており殺陣もそつ無くこなされてたので心配はしとらんけど、大泉洋の信之?まあ吉田羊の旦那役ちゅうのが許せんだけですけどね(^_−)−☆

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。