寒い日が続きますね(>_<) [詩・本]

ここ数日やたらと寒い(>_<) なんか短い秋だったような気がしてきた。朝、布団から足や背中がはみ出してて、身体が冷たくなって目が覚めるのはかなわんですな。起きるよりも身体を丸めて潜り込むほうが嬉しかったりしてね(^。^) そろそろ湯たんぽの季節?この時期に湯たんぽ入れたら2月頃は湯たんぽ3個くらい入れんといかんようになるんかな(-_-;)

本屋さんに出かけると、少し気にして詩のコーナーで立ち止まる。どこの書店も置かれてる詩集は少ない。俳句に短歌のほうがよっぽど多い。それだけメジャーではないのだろう。「詩を書く人って大変だろうな」と素直に思う。詩は儲からんと思いますわ。ひと昔前みたいに阿久悠さんのような天才職業作詞家とかいなくなって(いるのかもしれませんけど、最近歌謡曲とか耳に入って来んので知りません<(_ _)>)作詞だけで飯を喰える人っちゅうのは少ないんでしょう。

その昔、吉本隆明さんも詩人として世に出ていらっしゃるのだが、吉本さん自身は15歳頃から自己慰安のために書き始めたと書かれている。要するに自分を慰める為のモノだったと。
「自己慰安から書くと、どうしても童謡みたいなものになっちゃうんですよね。で「俺はダメで、これは難しいぞ」と思ったのは、・・・意識的に詩人と称するところに行こうと思ってからですね。これはもう、気がおかしくなるくらい、詩ばっかり書いて修練していかないと詩人にはなれないって思えてきたんです。<中略>参考になるのは先に言ったプロの三人、谷川俊太郎さんと、田村隆一さん、吉増剛造さんですね。吉増さんは、ものすごいですよ。この人にかかると、何の意味も無い「、」や「。」という句読点が、もう、何か別の意味を持っちゃうんですから。日本語の極限、つまり、盛り場で生まれる日本語じゃなくて、専門家が作る日本語という意味での極限まで行ってると思います。」『悪人正機』<「物書き」ってなんだ>より一部抜粋

いい歳ぶっこいたオッサンが何でそんな本を手に取ったか?詩集を開いて読むなんてね。自分でも考えた事もありませんでしたわ(^.^)茨木のり子さんの『わたしが一番きれいだったとき』。パラパラっと開いて読んでみたら、何かがスッと心に入ったんだよね(^^♪ スッと来る一瞬の爽快感!カタルシス(浄化作用)を与えられたんだろうね(^。^) 詩人て凄いなと感じましたわ。言葉を選んで、その意味を選んで、削っていく。長田弘さんの詩で『言葉のダシのとりかた』と云うのがある。

『言葉のダシのとりかた』長田 弘
・・・
言葉が鍋の中で踊りだし、
言葉のアクがぶくぶく浮いてきたら
掬ってすくって捨てる。
鍋が言葉もろともワッと沸きあがってきたら
火を止めて、あとは
黙って言葉を漉しとるのだ。
言葉の澄んだ奥行きだけがのこるだろう。
それが言葉の一番ダシだ。
言葉の本当の味だ。<抜粋>

そのあとに、こう続いている。ここは重要だ(^.^)
・・・
だが、まちがえてはいけない。
他人の言葉はダシにはつかえない。
いつでも自分の言葉をつかわねばならない。

本当に推敲に推敲を重ねて、これでもかっ!ってくらい考えて、「いや、まだ違う!」って突き詰めていく感じが凄いよね。だからこそ自分の言葉になりもするんだろうけど(*^_^*) 

『ひつようなもののバラード』長田 弘
靴。
はきよい靴。
不揃いの雑踏。

どこへもゆき、
どこへも行かない。
立ちどまる。

立ちどまりつつ、
歩く。
手でかんがえること。

ひつようなものは
わずかなもの。
ひつようが愛だ。

窓。
屋根。
青。

もう一杯のコーヒー。
二ど読める本。
三色の巷(ちまた)。

言葉。
白い紙に
黒い文字。

『驟雨』もそうだけど長田さんの書くものは鮮やかに、その光景を浮かび上がらせる。
やっぱ言葉の名手ですわ(^_-)-☆

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