夢のあるような無いような [なんか良いことないかな~]

昨日TBSの「夢の扉」という番組で福島第一原発から25km沖合いに、海に浮かぶ風力発電にトライしている商社マンを見た。この国家プロジェクトが成功すれば周りを海に囲まれ広大な陸地を持たぬ日本でも風という自然エネルギーと広大な日本の海洋面積を利用した夢のようなエネルギー政策に道が開けてくる。勿論ずぅ~っと先の話だろうけどね。

今朝の新聞で東海原発の原子炉解体作業を先送りしたという記事を目にした。「廃炉のゴミ」を埋める処分場がないからなんだそうだ。「えっ?福島の燃料棒をプールから運び出すような事書いてあったけど、そっちは大丈夫なんじゃろうか。」オイラも六ヶ所村が最終処分場というか再処理施設として稼働しているかのように錯覚していたけど現状は処分先が無いっちゅう事なんだそうな(>_<) プルトニウムの半減期は2万4000年!全ての放射性分がなくなるまで10万年。日本が過去作り出した核のゴミであるガラス個化体(高さ約1.3m、外径約40センチ)一本には広島原爆約30発分の死の灰が詰まっている。その数6700本。今ある核燃料棒をガラス化固体にすると約25,000本のガラス固化体が出来上がるんだそうだ。やっかいなのは、その形状で50年以上に渡って冷やし続ける必要がある事だ。例え六ヶ所村に一時的に移したとしても、元が再処理施設で考えられており、最終処分場とすれば被爆の影響を弱める為には300m以上地下に潜らねばならず。まして10万年の間に放射能が漏れ出さないとも限らず。廃棄物の行き先の無い現状を例えて「トイレ無きマンション」と表現されているそうだが、そのようなものを輸出しようとしとるわけだけど『安心・安全』を担保出来るのだろうか?

アメリカもネバダ砂漠の真ん中あたりにユッカマウンテン放射性廃棄物処分場を莫大な予算をつけて作ってたのにオバマ大統領の代に建設中止となっている。アメリカのエネルギー省は、今年の1月に「使用済燃料及び高レベル放射性廃棄物の管理・処分戦略」を作成し、スケジュールとして2021年までに、最初は閉鎖された原子炉のサイトからの使用済燃料の受け入れに焦点を当て、パイロット規模の中間貯蔵施設の立地、設計と許認可、建設と操業の開始を企画している。しかし砂漠の真ん中でさえ理解を得られなかった最終処分場を受け入れる地区などあるのだろうか?

■『天之道、利而不害、人之道、為而弗争』老子

天の道は、利して害せず、人の道は、為(な)して争わず

天の道は万物に恩恵を与えるだけで害を加えることはない。人の道は、与えられた責任を果たしながら人と争うことはしない。


■『事をなすは誠にあり』安政6年正月25日 君儀[安富惣輔]に復す 吉田松陰

世の中に役立つことをなし遂げられるのは、誠と云う徳によってである。

「至誠にして動かざるもの いまだこれあらざるなり」孟子の言葉ですけどね。安倍さんや前原さんは吉田松陰さんの影響が強いんでしょう。お二人とも座右の銘ではないかと思いますが。
「わが身に誠ありといえるためには方法がある。それは善とは何かを明らかにしていくことである。善を明らかにできない者は、その身を誠にすることができない、誠がすべての根源であって、誠は天の道(自然の道理)である。すなわち元来人の本性である誠を身につけていくのが人たる道なのである。したがってこの至誠をもって動かすことのできないものは、この世にはなく、また、誠なくして動かせるものはないのである」

小泉さんはフィンランドの最終処分場を視察した後に脱原発を唱え始めている。自分達は間違っていたと。勿論エネルギーを一度にナシとする事は資源を持たぬ工業立国日本には致命的かもしれんけど、もしかしたら小泉さん云うように動いていない今こそ原発ゼロの最後のチャンスかもしれんね(^_-)-☆


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