雑感(3月26日) [なんか良いことないかな~]

先日、1ヶ月点検に出した車はオイル交換も済み綺麗に洗車され、走る気満々に見える(^^) 実に1700km、まあ気分は上々でしょう。盆栽仕立ての梅桃もほぼほぼ咲き誇って来た。
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3月もそろそろ終わり( ^ω^ ) 世の中桜の話題で賑やかになってきたけど、今週はまだまだ風があって空気も冷たい感じだ。大相撲も瞬間盛り上がったものの、稀勢の里の、やりきった感の無い連敗で、いつもの彼のイメージに舞い戻り、こちらは春まだ遠し(。-_-。)もしかすると大関になった事が春だったのかもしれんけど、一度は賜杯を掴んでくれよ。

乙武洋匡の不倫、ビックリですな。イメージからは全く浮かばず。色に溺れましたか、選挙を控えてる候補者は身綺麗にしとかんと、叩かれますな(^.^)

「紺屋高尾」のマクラで、二葉亭四迷という人がこの国に初めてアイラブユーという言葉が入ってきた時に、「あなたとならば死んでもいい」と、こう訳したんだそうであります。なんて事を立川談春が喋ってた。

二葉亭四迷の処女作『浮雲』。三遊亭 圓朝の口演筆記をヒントに書かれたそうだ。自身のペンネームの由来が「くたばって仕舞え」から来ているそうだが、落語好きと聞けば、わかる気もする(^^) 森光子さんがひっくり返る「放浪記」の作者、林芙美子さんの小説の「浮雲」も不倫の話だったか。

浮雲つながりで
論語から
『子曰く、疎食(そし)を飯(くら)い水を飲み、肘を曲げてこれを枕とす。楽しみまたそのなか(うち)に在り。不義(ふぎ)にして富みかつ貴きは我において浮雲(ふうん)のごとし。』[述而]

搗(つ)いていない玄米を食い、水を飲み、寝るにも枕なく肘を曲げて枕の代用とする。そんな質素な生活のなかにも楽しみがある。不正な手段で金銭や地位を得ているものは、私にとって浮雲のような存在にすぎない

「粗衣粗食を勧め、つまらぬものを食い、水を飲み、肘を枕にして暮らさなければ、真の楽しみは得られない」という事ではなく、「不義を行っても富貴利達を求めようとするのは、人として恥ずべき事である」と述べている。不義や不理やごまかしで真の富貴は得られない、何かの僥倖で一時の富貴を得る事があったとしても、それは浮雲のようなもので、たちまち一陣の風に吹き飛ばされてしまう。

ついでに菜根譚から
『富貴を浮雲にするの風(ふう)あって、必ずしも巌棲穴処(がんせいけっしょ)せず。泉石(せんせき)に膏肓(こうこう)するの癖(へき)なくして、常に自ら酒に酔い詩に耽(ふけ)る』(後集17)

富や名声は空に浮かぶ雲のように頼りないものと悟ってはいるが、しかも必ずしも世を逃れ、人を避けて深山幽谷に隠れ住もうとはしない。山水の風情を愛好するのが不治の病となるぐらいまで耽りすぎてはいないが、しかも、常に酒をたしなみ、詩を楽しむという悠々自適の境地を解している。「世を捨てて、世を捨てず」という趣があってほしいものだ。

なんちゅうの?酒をたしなむのは得意なんじゃけど、痩せるためには控えんといかんのですよ(>_<) 自分で望んだわけではないけど、病気を患うと「世を捨てて、世を捨てず」っちゅう生活にならざるを得ませんな(^_−)−☆

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