雑感2015年3月17日 [なんか良いことないかな~]

今朝6時に新聞取りに出てみたら、思いの外暖かいのにビックリ。そろそろ桜も咲き始めて来たようだ(^.^)

いやはや、すっかりサボってしまった(>_<) 本日は日中の気温が24℃を越えたようだが、先週はやたらと寒かった。その上、期末を迎えて、こちらも忙しなく。最近楽しみなのは帰宅してのバスロマン!明るい色に染まった浴槽に、身体を滑り込ませる(^.^) 風呂上がりには、 焼酎のウーロン茶割りに、赤貝の缶詰、お新香が落ち着く( ^ω^ )

先週11日は草津方面に出てて、その時の気温は5℃(>_<) 草津から降りてくる車の屋根には雪!そういえば日本海側に東北は大雪降ってたんだものね。当日は東日本大震災4周年追悼式。TVでは当時の映像が流れている。お母さんと二人遺され避難した仮設住宅。その母もガンで亡くなり一人ぼっちになった娘。彼女は毎夜、母を想い涙していた。だが彼女は今、東京で働くことを決意する。「自分の命をお母さんの命だと思って生きていきます」と。妻を亡くした男、料理などした事もなかった彼が、妻の作るカレーライスが懐かしく、その味を思い出しながら作るのだが「なかなか同じ味にならないのです」と笑いながら話すのだが何やら寂しげで。「後悔があるとするならば、妻にもっと感謝の言葉をかけておけば良かった」ポツリと一言。
午後2時46分 車を止め、1分間の黙祷をする。切なくなってしまった(。-_-。)

当時、「東日本大震災復興構想会議」と言う、識者を集め複数県にまたがる前例のない広域災害に対処するためには何を為すべきか、をまとめ政府に進言申し上げた提言書があったはずなのだが、どこでどうなってしまったのか?復興構想7原則に謳われた7番目;今を生きる私たち全てがこの大災害を自らのことと受け止め、国民全体の連帯と分かち合いによって復興を推進するものとする。
われわれは誰に支えられて生きてきたのかを自覚化することによって、今度は誰を支えるべきかを、震災体験は問うている筈だ。その内なる声に耳をすませてみよう。

おそらくそれは、自らを何かに「つなぐ」行為によって見えてくる。人と人とをつなぐ、地域と地域をつなぐ、企業と企業をつなぐ、市町村と国や県をつなぐ、地域のコミュニティの内外をつなぐ、東日本と西日本をつなぐ、 国と国をつなぐ。大なり小なり「つなぐ」ことで「支える」ことの実態が発見され、そこに復興への光がさしてくる。

被災地の人たちは、「つなぐ」行為を重ねあうことによって、まずは人と自 然の「共生」をはかりながらも、「減災」を進めていく。次いで自らの地域コ ミュニティと地域産業の再生をはたす。「希望」はそこから生じ、やがて「希 望」を生き抜くことが復興の証しとなるのだ。(前文より一部抜粋)

「つなぐ」「減災」「希望」をキーワードに提言されたが、その後の4年の歩みはどうだろう。

先週、鳩山さんが制止も聞かずクリミアでペラペラとおしゃべりされていたようだ。あの未曾有の大震災を経験した国民が、最も不幸だったのは時の内閣が民主党であった事ではなかったか?菅直人、鳩山由紀夫と言う恐ろしく国家観の欠如した、誰もが無能とわかっていた政治家を総理に選んだ民主党、それを選択したのは、また国民ではあるのだが。

「同類ほか」
同類
脳も胸も、その図らいも
凶器の隠し場所

陰に陽に
陽物(ようぶつ)のおわすところを
陰部とは


心に耳を押し当てよ
聞くに堪えないことばかり


忌むべきものの第一は
己が己がと言う心


若いほうへと
気も向くさ


人の為とは偽りさ
荀子(じゅんし)『性悪編』に曰く
「人の性は悪、その善なるは偽りなり」と
人為(じんい)を施した為人(ひととなり)は偽りということか

吉野弘 漢字喜遊曲<同類ほか>より一部抜粋

相変わらず、世の中は「見つからなきゃ良いや。黙ってりゃわからんし。これの何処がおかしいの?」と言う公人、企業の多いのには呆れてしまう。先生が教え子を殺し、安全を守るべき警察官が誘拐未遂に人殺し。いやはやなんとも(。-_-。)

オイラとて子供の手本となる自信はないが、子供から後ろ指だけは指されとうはありませんね(^_−)−☆

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