久しぶりの雨 [なんか良いことないかな~]

本日は冷たい雨に降られながらの高速移動。視界も狭まり神経使うんで疲れましたわ(^.^)

11月も給料日過ぎて、いよいよ師走が近づいてきた。それ以上に会社人生も師走が近づいて来ているわけなんだけどね( ^ω^ ) 残されたセカンドライフを60歳か、それとも雇用延長制度を利用し65歳でスタートするのか?58歳の誕生日2ヶ月前に結論出さにゃならんのですが、どうしましょう(^.^) それにしてもセカンドライフ!人生80年生きるとすると残された時間は、やたらと多い。貯蓄を持たぬ身の上としては支出を抑える努力っきゃなさそうだ(。-_-。)

先日録画した健さんの「あなたへ」のエンディングロールで映し出される山頭火の句。

このみちや
いくたりゆきし
われはけふゆく

私はまた旅に出た、愚かな旅人として放浪するより外に私の行き方はないのだ。
種田山頭火<行乞記>より

<行乞記>は前編と後編に分けて書かれているが、その中間の昭和五年末から昭和六年の半ばごろまで熊本市の貸し間に住んでおり、食い扶持稼ぎに手製の雑誌「三八九(さんぱく)」を発行している。その巻頭に「私を語る」ー(消息に代へて)ーという散文を寄せている。

私もいつのまにやら五十歳になった。五十歳は孔子の所謂、知命の年齢である。<中略> 私は労れた。歩くことにも労れたが、それよりも行乞(ぎょうこつ)の矛盾を繰り返すことに労れた。袈裟のかげに隠れる、嘘の経文を読む、貰ひの技巧を弄する。 応供(おうぐ)の資格なくして供養を受ける苦悩には堪へきれなくなったのである。<中略>

本来の愚に帰れ、そしてその愚を守れ。

私は我がままな二つの念願を抱いている。生きている間は出来るだけ感情を偽らずに生きたい。これが第一の念願である。言いかえれば、好きなものを好きといい、嫌いなものを嫌いといいたい。やりたい事をやって、したくない事をしないようになりたいのである。そして第二の念願は、死ぬる時は端的に死にたい。俗にいう「コロリ往生」を遂げることである。
私は私自身が幸福であるか不幸であるかを知らないけれど、私の我がままな二つの念願がだんだん実現に近づきつつあることを感ぜずにはいられない。放てば手に満つ、私は私の手をほどこう。

ここに幸福な不幸人の一句がある。…

このみちや
いくたりゆきし
われはけふゆく

山頭火さん!随分正直な方だなと思ってしまう( ^ω^ ) 幸福な不幸人とは、どういう状況の人を指すのかわからんけど、この句はお気に入りだったのだろう。

映画の中でキーワードとして使われた山頭火の句。健さんがインタビューに答えて口にしていた「人を想うってことなんじゃないでしょうか」、映画観てて感じた「止まってしまった時間」と「あなたには、あなたの時間がある」「放浪と旅」。
結構深い映画ですわ( ^ω^ ) それにしても友和さんの息子は大滝秀治さんと健さんに挟まれて演技してたのは彼の映画人生で財産だろうね(^_−)−☆


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。