雑感(2014年9月12日) [なんか良いことないかな~]

今朝は短パンとTシャツでは寒いくらいで、体操してもイマイチ温まらず。ひと月前に花も終わったかと強めに剪定した花が、また返り咲いて来てるのを発見。「生き物はしぶといね」(^_^)
9月も残すところ実働10日!これまた早いや!短い秋は、あっという間に冬?やっぱ労働時間にメリハリ付けて、毎日やれる事を精一杯やって、休日はフルに休んで遊ぶ!今年は勤続ウン十年でステップアップ休暇が貰えるのに、予定入れるの忘れてた。5日間に土日を混ぜて9日間?国外逃亡でもしてみますか( ^ω^ )

<論語より>
過ちて改めざる、是れを過と謂う。(衛霊公)
人は誰でも過ちをおかすものである。過ちに気がついたらすぐ改め、日食が終わり戻った太陽を仰ぎ見るようにしなければならない。これが出来たならば、過ちはすでに過ちではなくなっているのだ。過ちをとりつくろって改めないのを、真の過ちという。この過ちが、さらなる大きな過ちを招くことになるのである。
トラブルの原因が自分にあることを知りながら、言い訳する事が本当のトラブルなのだ。あなたの成長を止めるばかりではなく、信頼も下げる。

過てば即ち改むるに憚ること勿かれ(学而)
過失を認めたら、直ちに勇気をふるってためらわず、それをなしくずしにしないで改めなければならない。世の中には傲岸な態度を貫いて、その非を認めず殺されてなお悔いない者もいる。

子夏曰く、小人の過つや、必ず文(かざ)る。(子張)
小人は私心が多く、外聞のため利害のために、自分の過ちに気がついてもそれを認めず、とりつくろって自分の心を欺くだけでなく、他人も欺くのである。
つまらない人ほど自分を「粉飾」する。

論語を学んだ吉田松陰も次のように記している。

士は過ちなきを貴しとせず、過ちを改むるを貴しと為す (安政元年冬「幽囚録」)
・士(武士あるいは道に志す人)は過ちがないことを貴ぶのではなく、過ちを改むる事を貴いと考えるのである。

士の行は質実欺かざるを以って要と為し、巧詐(こうさ)過ちを文(かざ)るを以って恥と為す。光明正大(こうめいせいだい)、皆是れより出づ。(安政二年 士規七則)
・士の行いというのは飾らなく誠実であり、人を欺くことがない生き方を大切なものとする。また、うまくごまかしたり、過ちを偽ったりして隠すことを恥とする。こうして素直で明るくそして正しい大きな心と生き方が導かれるのである。

大新聞の粉飾!遅きに失した会見!もはや信は得られんでしょうな。改革の道筋をつけたら? 何を今更(−_−;) 茹でガエルのトップには何も期待は出来んと思いますけど…


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