雑感(9月4日) [なんか良いことないかな~]

内閣改造が行われた。あまり顔ぶれが変わるのは如何なものかとも思うが、訳のわからんのは入閣待機組?尚且つ不満が漏れとるそうだ。何様なのかと毎度思う。

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。去れ共、箇様の人は、凡俗の眼には見得られぬぞと申さるゝに付、孟子に「天下の公居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行なふ、志を得れば民と之に由り、志を得ざれば独り其道を行ふ、富貴を淫すること能わず、貧賤も移すこと能わず、威部も屈すること能わず」と云ひしは、今仰せられし如きの人物にやと問ひしかば、いかにも其の通り、道に立ちたる人ならでは彼の気性は出ぬ也。

オイラが聞いた事あるくらいなので、西郷さんの遺訓の中でも最も有名な言葉なんでしょうね。もしかしたら「金もいらなきゃ女もいらぬ、あたしゃも少し背が欲しい」と勘違いして覚えとったのかもしれんけど( ^ω^ )

命も名声も、地位も、金銭も求めない人はもっとも御しがたい人である。しかし、こういった人の人生の試練・困難は分かち合うことができる。また、こういった人だけが国に功績を残すことができる。というのが一般的に有名な部分。その少し先の部分に孟子のくだりがあって、この部分の現代語訳がこちら、
「"仁"という名の広い家に住み、"礼"という名の正しい場所に立ち、"義"という名の天下の大きな道を歩む。世に用いられた時は、人々とともに、"仁""礼""義"の道を実践する。世に用いられなかった時は、身を引き、一人で"仁""礼""義"の道を実践する。どれほどの金銭や名誉を与えても、その人を堕落させることは出来ない。どれほどの貧しさに追い込もうと、どれほど卑しい立場に落とそうと、その人の節操をまげることはできない。どれほどの権威で押さえても、どれほどの武力で脅しても、その人を屈服させることは出来ない。こういう人が、今、先生がおっしゃったような人なのでしょうか? すると先生はこうおっしゃった「いかにもそのとおりだよ!心の底から"正しく生きる"という覚悟を固めた人でなくては孟子がいってるような人には、とってもなれないものさ」(新訳 南洲翁遺訓 松浦光修編訳より一部抜粋)

相対を絶した人間。つまりは敬天の人。斯様な人柄は凡俗な者共にはこれを見抜くことが容易ではない。そもそも人を動かすものは真実のみであり、情こそが、最も深く人間を内から動かすものである。之に反し、人間を外から動かすものは力である。一つは権力であり一つは金力である。しかし、その力をもってしても誘うことが出来ない。ここが「始末に困る」所以ですが、このような人でなければ真に国家の大業など成すことは出来ないのです。真の大きさと云うのは内面からのみ現れるのであって、志の高さ、深さ、高大とか深大という趣の人格は、まさに道に立つことによってのみ現れるものというべきである。(西郷南洲の遺訓に学ぶ 森信三講録より一部抜粋)

錦織圭ベスト4! ついに来ましたか。準決勝はTVで応援しなきゃだな(*^o^*)
大新聞朝日も迷走しとりますね。ちょっとお粗末!彼らは正しく生きていると胸を張って言えるのか?

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