たまにはこんなのも [詩・本]

ここ数日は寒かったのもあるけど、やたらと眠くって今も3時間ほど寝てた。これって糖尿の影響?もう人生もお終いみたいで寂しくなりますわな( ^ω^ )

「人は五十已後(いご)に至りて、春心(しゅんしん)再び動く時候あり。これ衰徴(すいちょう)なり。」(後略)(後・149)
人は五十歳を過ぎて、再び青春の気が発動することがあるが、これは実は身体の衰え始める前兆である。 <春心というのは性欲の事、つまり50歳過ぎたあたりで性欲が再び盛り上がってくる事があるが、だからといっていい気になってはいけない。あとが大変だから調子に乗ってはいけないよ!と佐藤一斎先生も述べられている。>

高齢者への戒めなんだそうだ!「言志四録」に書かれてあるのだから佐藤一斎先生の実体験かもしれんけど( ^ω^ ) 江戸時代は今ほど長生きはせんじゃったろうけど、今時の50や60はまだ若いでしょ。市村正親さんとか元気だしラサール石井ちゃんも羨ましい。カトチャンは羨ましいのを通り越して少し心配かも。もちろん大きなお世話ですけどね(^.^)

オイラのようなお子ちゃまにはちょびっと似つかわしくない詩だけど、たまには良いべ( ^ω^ )

『秋の接吻』滝口雅子
人を愛して
愛したことは忘れてしまった
そんな瞳(め)が咲いていた
萩の花の白くこぼれる道
火山灰の白く降る山の道
すすきを分けてきた風が
頬をさし出して
接吻した
人を愛して愛したことは忘れてしまった

愛されるという受身形しか知らない人は悲しい。涙と傷、捨て身で人を愛した経験をもった人の瞳(め)は、歳月のなかで茫々とかすみながらも、なんらかの痕跡を宿しているものなのかもしれません。人を愛することを知らずに来た人の瞳とくらべたら歴然かもしれないのです。(茨木のり子)

オイラの瞳(め)はどんな眼をしているのだろう?まさか腐ったサカナの眼だったらどうしよう( ^ω^ )
             
『男について』滝口雅子
男は知っている
しゃっきりのびた女の二本の脚の間で
一つの花が
はる
なつ
あき
ふゆ
それぞれの咲きようをするのを
男は透視者のように
それをズバリという
女の脳天まで赤らむような
つよい声で

男はねがっている
好きな女が早く死んでくれろ と
女が自分のものだと
なっとくしたいために
空の美しい冬の日に
うしろからやってきて
こう云う
早く死ねよ
棺をかついでやるからな

男は急いでいる
青いあんずはあかくしよう
バラの蕾はおしひらこう
自分の掌がふれると
女が熟しておちてくる と
神エホバのように信じて
男の掌は
いつも油でしめっている

「男は」のあとに続く「知っている」「願っている」「急いでいる」まるで自分が神であるかのように。でも本当は女の事なんてあなたは何にもわかっちゃいないのよ。ただのせっかちの脂ぎった男なのよ!と。仰せの通りですな。それでも作者はその男に惚れてる( ^ω^ ) オイラの口から「早く死んでくれよ」なんて、そんなやさぐれた色男みてぇ~なセリフは出てこねぇですぜ(^_−)−☆

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